【中学1年生】歴史 聖徳太子と律令国家の形成
飛鳥時代と聖徳太子の政治
飛鳥時代には仏教の導入に努めた豪族の蘇我氏(そがし)により勢力が拡大していきます。
この頃、かの有名な「聖徳太子」が推古(すいこ)天皇の摂政(せっしょう)となり、天皇中心の政治を進めていきます。
この政策として、まず、冠位十二階の制度があります。
これは、家柄にとらわれず、才能や功績のある人を役人にする制度でした。
次に、十七条の憲法を定め、役人の心構えを示しました。
そして、中国の進んだ文化を取り入れるため、遣隋使として小野妹子(おののいもこ)を派遣しました。
律令国家の成立と奈良時代
645年に「中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)」と「中臣鎌足(なかとみのかまたり)」らが蘇我氏を倒して始めた政治改革を「大化の改新」と言います。
無事故(645)の改新ですね。
そして中大兄皇子は即位して天智(てんじ)天皇となりました。
これにより「公地・公民」といって豪族が支配していた土地と人民を国家の支配下におきました。
また、672年に天智天皇の後継者争いが起き、これを「壬申の乱」と言います。
この争いに勝利して即位したのは天武天皇でした。
701年に唐(現在の中国)の律令にならって「大宝律令」が制定されました。
貴族が高い地位につき、6歳以上の人々に口分田をあたえ、租という税を課しました。
710年、唐の都長安にならい、奈良に都を作りました。
これが有名な「平城京」です。
なんと(710)美しい平城京。
ここから奈良時代が始まりました。
日本最初の銭として和同開珎が流通し始めたのもこの頃です。
さらに、農民に新しく開墾した土地の永久資材を認める「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」が始まりました。
まとめ
飛鳥時代にはなんと言っても聖徳太子の活躍が目立ちます。
聖徳太子は飛鳥文化として日本最古の木造建築である「法隆寺」を建設したりもしていましたね。
また、奈良時代には聖武(しょうむ)天皇が仏教の力で国家を守るために東大寺や大仏を建てたりしていました。
この頃の有名な歴史書として「古事記」や「日本書紀」があります。
さらに日本最古の歌集である「万葉集」もこの頃作られたそうです。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
これを読んでくれた方が少しでも歴史に興味を持ってくれたらうれしいです!