【中学2年生】歴史 条約改正と日清戦争

社会

【中学2年生】歴史 条約改正と日清戦争

条約改正への道のり

外務大臣の井上馨が欧化政策により条約改正を目指しました。
しかし、これは失敗に終わりました。

その後、1886年にイギリス船が沈没した「ノルマントン号事件」という日本人乗客全員が死亡する事件が起こりました。
この事件に対し、イギリス領事裁判はイギリス人船長を軽い刑罰で済ませたことから、条約改正への動きが強まりました。

そして、1894年に外務大臣の「陸奥宗光」がイギリスとの間で領事裁判権(治外法権)の撤廃に成功しました。
これを日英通商航海条約といいます。
それに続き、1911年に外務大臣の小村寿太郎がアメリカと条約を結び、関税自主権を完全に回復しました。

日清戦争について

1894年に東学を信仰する農民らが、朝鮮南部で起こした農民戦争をきっかけに、日清両国が朝鮮に出兵して「日清戦争」が開戦されました。
結果は日本の勝利となりました。
これより、日清戦争の講和条約である下関条約が結ばれ、1985年に清は朝鮮の独立を認め、日本に遼東半島および台湾などを譲り渡し、賠償金として2億両(現在の約3億1000万円)を支払うことになりました。
しかし、満州への進出をねらうロシアがドイツ、フランスとともに遼東半島の清への返還を日本に要求しました。
日本はその要求を受け入れましたが、国民のロシアへの反感が高まりました。

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