5代将軍徳川綱吉
1680年~1709年、5代将軍「徳川綱吉」が儒学(朱子学)を奨励し、湯島聖堂を開きました。
しかし、このことから幕府は財政難となってしまいました。貨幣の質を落として発行量を増やしましたがさらに物価が上昇してしまいました。
さらに、徳川綱吉は「生類憐みの令」という極端な動物愛護指令を出し、人々を苦しめ、反感をかってしまいました。
新井白石の政治
1709年~1716年まで、6、7代将軍に使えた朱子学者である「新井白石」が将軍に代わり政治を行いました。
新井白石はまず、物価の安定をはかるため長崎貿易を制限し、金・銀の流出を抑えて貨幣の質を良くしました。
そして、反感をかっていた生類憐みの令を廃止しました。
まとめ
5代将軍徳川綱吉が儒学を奨励し始めたことから財政難に見舞われたり極端な動物愛護令を出したことから人々から反感までかってしまいました。
新井白石が介入してなんとか安定をはかっています。
一方このころ日本の文化は「元禄文化」といって、「松尾芭蕉」が全国を歩いて執筆した「奥の細道」や「近松門左衛門」が脚本を書いた人形劇である「人形浄瑠璃」、他にも「浮世絵」という絵画など、町人中心の明るく活気のある文化が盛んでした。
このような独特の背景がある時代なので、その時代をイメージしながら覚えていくと良いでしょう
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