
鎌倉時代中期
1206年、チンギス・ハンがモンゴル民族を統一して建国した「モンゴル帝国」が誕生しました。
5代目のフビライ・ハンは都を大都(現在の北京)に移し、国号が「元」となりました。
そして、日本では北条時宗が執権のとき、元軍が日本侵略のため2度にわたり北九州を襲来しました。
これを「元寇」と言います。
火器・集団戦法に苦しめられつつも、元軍は暴風雨などで大打撃を受け、結果的には退却していきました。
しかし、防衛線だったため、幕府は御家人に十分な恩賞を与えられなかったため不満の声が上がるようになりました。
鎌倉幕府の滅亡
1297年に、幕府が御家人の生活を救うために「徳政令」という法令を出しました。
これは、借金を帳消しにし、売った土地を無償で取り返させる処置となります。
しかしその後、後醍醐(ごだいご)天皇が朝廷に実権を取り戻そうとして倒幕を計画し、1333年に幕府は滅亡しました。
そして、1334年に後醍醐天皇が年号を建武と改め、自ら政治を行いました。
これを建武の新政と言います。
しかし、これは公家重視の政治だったため、武士の不満が高まりました。
その不満をうけて、足利尊氏(あしかがたかうじ)が南北朝の動乱を起こし、後醍醐天皇は奈良に逃れ、建武の新政は失敗に終わりました。
まとめ
この時代はまだ不満などが多く、統一とはいかず、争いが増えてきています。
元寇の際も運が良かったのか悪かったのか。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
これを読んでくれた方が少しでも歴史に興味を持ってくれたらうれしいです!
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