【中学1年生】歴史 鎌倉幕府の成立
武士の台頭について
935年に関東地方で平将門(たいらのまさかど)、939年に瀬戸内地方で藤原純友(ふじわらのすみとも)が反乱を起こしました。
同時に、源氏は東国に勢力をのばし、平氏は西国に勢力をのばしていきました。
この頃、上皇と呼ばれていた位をゆずった天皇を中心とする「院政」という政治が行われていました。
そして、1156年に上皇と天皇が対立し、「保元の乱」が起こりました。
保元の乱では平清盛(たいらのきよもり)と源義朝(みなもとのよしとも)が味方していた天皇側が勝利しました。
その後、1159年にこの二人が勢力争いを始め、平清盛が勝利しました。
これを「平治の乱」と言います。
このことから、1167年に平清盛が武士で初めて「太政大臣」となり実権をにぎった平氏政権が始まりました。
鎌倉幕府の成立

1185年に現在の山口県で平氏と源氏の最後の戦いである「壇ノ浦の戦い」が起こり、源氏が勝利しました。
そして、国ごとに国内の軍事・警察や御家人の統制などの「守護」と、荘園や公領に土地の管理や年貢の取り立てなどの「地頭」を設置しました。
その後、1192年に源頼朝(みなもとのよりとも)が征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府が始まるのです。
良い国作ろう(1192年)鎌倉幕府。
将軍は御家人の領地を認め、功績があるとあたえる「御恩」と、御家人は将軍に忠誠を誓い、戦いのときは家臣を率いて出陣する「奉公」が始まりました。
源氏の将軍は3代で絶え、北条氏が将軍を補佐する執権という職について「執権政治」を行いました。
1221年に後鳥羽上皇が政治の実権を朝廷に取り戻そうとして幕府を倒すために「承久の乱」をおこしました。
しかし、源頼朝の妻である北条政子の演説により、東国の武士を味方につけた幕府が勝利しました。
このことから、京都に「六波羅探題」を設置し、朝廷や西国武士を監視させるようになりました。
そして、1232年に執権である北条泰時が「御成敗式目」を制定し、武士に対して裁判を公平に行う基準を示しました。
まとめ
この時代から日本では数々の争いが起こってきます。
何年にどんな戦いがあったのか、しっかりイメージしながら覚えて見てください。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
これを読んでくれた方が少しでも歴史に興味を持ってくれたらうれしいです!